サハラ砂漠に溶ける
こんにちは。
今年は梅雨を結構楽しんでいるたけです。旅行中1ヶ月間ほとんど雨が降らなかったのですが、雨のことが心底嫌いなのではなくて雨が続くのが嫌いなだけなのかなと気づきました。頻度が増えると嫌なものって結構ありますよね。バナー広告とか最近深刻だなと思っております。
___________________________
旅行中サハラ砂漠で死生観の入り口みたいなのが芽生えたので少し吐き出しておこうと思います。
今回の旅行のメイン目的は「サハラ砂漠」と「サグラダファミリア」でした。なぜかというと、地平線が見たかったのと、砂以外なにもないという空間になぜか無性にひかれたからでした。
モロッコ入りしてカサブランカ→マラケシュを巡った後に個人ツアーを手配。アトラス山脈を越え、サハラ砂漠を通ってフェズまで北上する3泊4日の旅程です。
本当に道路しかないところを延々何時間も車で走って、2日目の夕方に砂漠すぐの街に到着。(道中も楽しかったのですが割愛します)
そこからラクダに30分ほど乗ってキャンプ地に向かいました。
砂丘のだいぶ手前でラクダから降り、ガイドのあんちゃんから「あそこの砂丘まで自分たちで歩いて行って!日の入りがよく見えるから」とまさかの放置プレイ。
目の前にそびえる砂丘の尾根は、辿るべき足跡もなく踏めば崩れそう。延々砂なので距離感もつかめななくて、思いの外遠かった丘の上から見た景色。
一面砂砂砂。どこまでも続く砂と空。写真では伝わりにくいですがこの砂、今まで触った砂の中でダントツで細かいんです。砂浜の砂をさらに10回砕いたようなサラサラの砂。靴下の繊維の隙間を縫って指の間に張り付くような細かさ。
きっと目に見える無機物を限界まで小さくした果ての姿がこの砂なのだろうな。そしてそれが無限に集まってこの雄大な自然の光景を形作っているのか。
動物も草木も存在しないこの世界で、もし丘の麓にいるガイドが急にぼくらを置いて行ったらこのまま死んでしまうのではないか。
渇ききったこの世界で血の一滴まで干からびて
目に見えないくらいちっぽけな存在になって
この大いなる自然の中に溶けていくのか
そう思うと自分の存在がやけにちっぽけに感じました。
普段都会で忙しない生活を送っていますが、結局自分が生きている時間軸はこの自然を前にしたら無に等しいなと。
いろんな世界があるんだなあと。
どんな生き方をしようと自分の存在は自然に溶けていく
であればもっと自由に生きたっていいじゃないか。
そんなことを考えた、サハラ砂漠でした。
ではまた。