元リク男子のゆるーい日常

元リクルートな25歳のてきとーなブログです

「万引き家族」にみるこれからの家族のカタチ

ロッコに向かう計24時間のフライトで映画を4本みました。いまさらですが「万引き家族」が心に強く残ったので少し書きとめようと思います。

あらすじ

高層マンションの谷間にポツンと取り残された今にも壊れそうな平屋に、治と信代の夫婦、息子の祥太、信代の妹の亜紀の4人が転がり込んで暮らしている。彼らの目当ては、この家の持ち主である初枝の年金だ。足りない生活費は、万引きで稼いでいた。社会という海の底を這うような家族だが、なぜかいつも笑いが絶えず、互いに口は悪いが仲よく暮らしていた。 冬のある日、近隣の団地の廊下で震えていた幼い女の子を、見かねた治が家に連れ帰る。体中傷だらけの彼女の境遇を思いやり、信代は娘として育てることにする。だが、ある事件をきっかけに家族はバラバラに引き裂かれ、それぞれが抱える秘密と切なる願いが次々と明らかになっていく──。

https://filmarks.com/movies/77796

 

 以下ネタバレをちょっとだけ含みます。

変わりゆく家族のカタチ

ちょうど僕の関心分野が「家族」で家族社会学などかじっていたため、「万引き家族」で描かれていた家族のカタチは令和以降の社会に求められる共同体的な家族のカタチ、新しい姿だと感じました。これまでは血縁関係で結ばれるのが当たり前だった家族のカタチ。性別的な男と女が結婚して、子供を産んで一生一緒に暮らしていく。男が働いて、女が家を守る。そんな性別役割分業がなされている家族観というのがありました。

しかし、実はその当たり前とされているカタチは戦後の高度経済成長を支えるために国が作り上げたものであって、今の日本の経済レベルでは男手だけで一家の家系を支えるのは難しいのは自明になっています。だからこそ、一億総活躍社会が掲げられ、みんな働こうねと国が方針を変えようとしているわけです。

 

結婚と家族のこれから 共働き社会の限界 (光文社新書)

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みんな働こうとすると仕事だけでなく家事や育児も含めて夫婦だけで完結させることが難しくなるので、祖父母や各種代行サービスといったアウトソースできる仕組みも少しずつでてきています。

「男は外、女は中」という性別役割分業がなくなりつつある中で、LGBTQをはじめとしてパートナーシップのあり方も変わってきています。そもそも結婚するのか、子どもを産むのかという話も多様性という言葉の下で個人の意思に委ねられるようになってきました。(もちろん、まだまだ社会的なハードルはありますが、、、)

家族のつながりとは?

そう考えると、これからの家族において血縁関係の重要性はどんどん下がっていくのかもしれません。前置きが長くなりましたが、血縁関係に左右されない「万引き家族」のあり方は非常に令和的な家族のカタチなのかも。それなら何をもって家族と呼ぶのか。愛情か。信頼か。絆か。セックスか。お金か。はたまたそういったものを超越した何かなのか。

こうした社会の流れの中で、これまでアタリマエだった家族のカタチも変わっていくのではないか、と僕は考えています。これまでの夫婦+子という核家族が拡張され家庭を支えるすべての人を含めて広義の家族になる気がしています。例えば、僕の知り合いで家事代行を毎週頼んでいるバリキャリウーマンの方がいます。その日はお子さんも一緒に預けるのですが、3歳の彼女は「わたしは親に育てられていて、代行の人には一時的に預けられているだけだ」などと明確に区分していません。きっと、みんなと過ごしているという感覚だと思います。

これからの家族の繋がりは何をもって定義されるのだろう?

僕にとって非常に深い問いを投げかけられた。カタール行きの機内でした。